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ワークショップは学びの手段か?
2008/11/12 Wed
Workshop on Workshop 2008というイベントに参加して参りました。


NPO法人学習環境デザイン工房が主催の、ワークショップの意味や今後の可能性について考えるイベントです。


第1部 パネルディスカッション「クロスオーバーしていくワークショップ」

<パネリスト>
平田オリザ(劇作家/大阪大学コミュニケーションデザイン・センター)
吉野さつき(ワークショップコーディネーター)
苅宿俊文(青山学院大学ヒューマン・イノベーション研究センター)
(司会:植村朋弘)


印象に残ったことばをメモメモ
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・ワークショップは子どもの中にあるものを外に引き出す場。
基本姿勢は、学習者のそれまでの人生を尊重すること。

・ワークショップが子供の教育に良いということは、もうすでにわかっている。
不登校の子が学校に行き始めたり、そんな成功事例はいくらでもある。

・アーティストはもっと「自分の言葉」を持ち、それを外部に伝えていくべき。
その手段としてもワークショップは有効。

・"みんな違ってみんな良い"とか言うけど...、みんな違うから大変なのだ!
まず「みんな違う」という認識に立って、それからどうしていくべきか考えよう。
感じ方(input)は一人一人様々で良いけど、outputがまとまらないから大変。
1つの正解を出すことが大事なのではなく、バラバラを『どうにかする』能力が一番大事。
誰がバラバラな意見をまとめたのか、が評価されるべき。

・"分数が出来ない大学生"なんていない。こいつらは"分数を忘れちゃった"だけ。
これは期末試験を使った短期記憶重視型の教育に問題がある。
ITが進歩して、短期記憶は不要になったんだ。これからは深い記憶が必要だ!
(※深い記憶が何を指しているのかは不明。)

・ワークショップをただやるのではなく「どんな社会を創りたいか」を常に考えることが大事

・なんでも教えられるというのは誤解。教えられない部分もあると認識せよ。教える場じゃなくて、感じる場として、ワークショップに注目している。

・ワークショップとは、「場」である。場はとても大事。
日本の学校は、椅子と机を教室に固定した為に、表現が海外より30年遅れた。
コミュニケーション能力が大事というが、大事なのはコミュニケーションデザイン能力。
例えば、患者さんが医者に質問しやすい椅子の配置か?机は?壁は?という発想。

・人間はつい自分の専門領域に居続けてしまう...。もっと違う領域の専門家同士が交わっていくべき。ワークショップは遠い人同士を出会わせる場。届きにくいエッジにいる人(障害者等)に食い込むことで、発見がある。

・ワークショップは、プロセスを作品にしていく感覚。結果にこだわることも必要だが、プロセスによりこだわる。
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第2部 ミニワークショップ「まさにワークショップ オン ワークショップ」

後半は、参加者は3つのエリアに分かれる。

(1)演劇ワークショップを体験する人
(2)メディアワークショップを体験する人
(3)その2つのワークショップ映像中継を見ながら解説を聴く人

これは結構おもしろい試み!

演劇ワークショップは、柏木陽さんによる2名の会話を扱ったもの。
メディアワークショップは高尾美沙子さんによる逆転時間ワークショップ
それを裏で中継しながら苅宿さんと吉野さんが解説を加えていく。

ちなみに僕は解説チーム。

「演劇側はさすがに身体接触のタイミングが早いですね」
「どうやら今は参加者の照れを和らげているようです」
「あ、ここでアイスブレイクしましたね~」

とか、中継を見ながら解説を聴きました(笑)

実際に参加せずに傍観するのは退屈で眠かったけど、外側から眺めるのは結構勉強になる。



ワークショップ後は、全参加者ゴチャ混ぜでグループディスカッション。

ん~これはイマイチ^^; 
3つのエリアに分かれていた為、1人1人に情報格差があり、その多様性から何かしらの創発が起こるはず!という意図だったと思いますが、何も起こらず(笑)各々に前提情報がなさすぎるので、単に「演劇の方はどんなことやったんですか?」「そちらは?」と情報共有に時間を費やして終了。。


といった感じの、ワークショップだらけのイベントでした。



さて、今回のイベントを通して一番の疑問は、

「このワークショップから、どんな学びがあるの?」
「そもそもワークショップは手段なのか?」

という疑問。


僕はアーティストではなく教育者だから、「ワークショップは教育のツール(手段)」だと捉えているのでこういう疑問が生まれるのかもしれないけど、

「自由で楽しい場を用意すれば、きっと何かが起こるに違いない!」という楽観には、やや違和感がある。

ワークショップコレクション2008でも感じたけど、「これってゲーセンや縁日と何が違うの?」と思ってしまう。

非日常空間の中で、協調的で、自由に、ときに身体を使いながら、参加型の体験であればワークショップなのか。

同じ活動をするにも、きちんと振りかえりや学習の抽象化の時間を設けて、「今自分は学んでいたんだ」と認識することって大事じゃないか。学び手が学び手である意識を持たないと、ただの遊び手になってしまう。



実際にワークショップに参加した人に問いかけてみたところ、

「確かに、楽しいだけで終わっただけかも?」
「どんな学び...?別にそういう振り返りはありませんでしたね。」
「まぁけど、楽しかったですよ!」

という反応。

あ、それでいいんですか...

すさまじい違和感に襲われた(笑)



僕は、ワークショップを自己目的化してしまってはいけないと思う。僕はね。

もちろん目的志向を持ち過ぎて、何かを一方的に教え込んだり、学びの落とし所を強制しすぎてもいけないと思うけど...

うーん、難しい。誰か教えて(笑)

 

コメント一覧

手段(ワークショップ)よりも大切な目的がある/ありそうだから違和感を感じるんだと思うね。

”To Be”がしっかりと描ければワークショップの誘惑から逃れられるんじゃないかな?

と思ったけど。

正直、目的と手段って曖昧な関係。

気付けば入れ子構造が変わっていたりするからさ。

ある目的が降りてきた時に、その時点での目的(Mindset変容)が手段に転じ、手段を行っている中で、その手段普及自体が目的になったりと。


内田が言える事は、その時点でのプロセスは、いかなる目的意識によって規定されているかを意識し続けるかしかないということかな。

まさに、現実世界へかえってくるためのリマインドマネジメント。笑

投稿者:うちだ|2008年11月12日 21:27

>1つの正解を出すことが大事なのではなく、バラバラを『どうにかする』能力が一番大事

非常に納得です。
意見は誰でも持っているもの。それをどう引き出し、そしてどう収束させるか。この能力はとても重要だと思います。

ワークショップは学びの手段か。僕は学びの「機会」なのだと思います。ただその「機会」は授業や講義というよりもハードルが低く、自主性を求められる要素が強いということ。ただあくまで「機会」は機会であり、結局はそれを学びに出来るかどうかは参加者の意識にかかっているのではないでしょうか。

投稿者:よしだ|2008年11月13日 08:07

2人ともコメントありがとう!とても参考になります。

後日、今回頂いたコメントから考えたことをblogで書きますね。

投稿者:安斎勇樹|2008年11月15日 22:23
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