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学びの6段階
2009/09/03 Thu
佐伯胖先生の『「学び」の構造』を読みました。 勉強法などの「よりよく学ぶ方法(How)」を扱った本は巷にウンザリするほど溢れていますが、本書は「学ぶとはどういうことか(What)」についてじっくり考えるのに最適な本です。 僕が生まれる10年前に出たとても古い本ですが、学習観から記憶の話、そしてスキナーの行動主義を批判しながら考察を深めたり、本質的なことがとても平易な文章で書かれているのでオススメです。ラジカルな意見もちょくちょく出てきて面白い。 是非お手にとって読んで欲しいのですが、第5章で「学びの諸段階」として、学習を6段階に分類していたのが興味深かったので、以下にまとめてみました。 ▽第1段階 最も低いレベルの学びというのは、言われた通りのことを全くの受動的に「丸暗記」するレベルである。「覚えた」だけで、生活やものの見方が変わるものではない。また、「覚えたこと」同士が矛盾しないかどうかとか、関連性などには全く無頓着なままである。 ▽第2段階 選択的に学ぶ段階。一種の「目標」を持ち、目標に沿って学びを選択する。目標が達成されれば学ばなくなる。「学んだこと」の意味が生活の中で確かめられたり、ものの見方が変わることもない。目標に対する吟味もない。(例:試験のための勉強、褒められるための勉強) ▽第3段階 目標が固定せず、目標自体を探す働き=「知的好奇心」が芽生える段階。ただし自分で目標をつくり出すのではなく、外部から目標を採用する。学んだ知識の意味は生活の中で確かめられるが、矛盾が起きても「わからない」と判断して解消しようとはしない。 ▽第4段階 新しい知識を確かめる際に、自分が納得がいくだけでなく、他人の目(別の視点)からみても当然だと思えることだけを選択的に吸収していく。他人の目から見てつじつまが合わないことは「疑問」として意識される。 他人の目から見た吟味が終われば、その知識を「信じる」ことになり、他人に語れるようになる。この段階での学びの目標は広く、「より深くものごとを納得すること」が目標ということになる。 ▽第5段階 前の段階では他人の目から見た矛盾点は疑問として残るだけであったが、この段階からはその疑問を自分で何か「新しい一貫性」を生み出すことによって、何らかの形で「解消」しようと努める。 そして自分が信じることを他人に語る際に、「もしかしたら自分が今まで当然だと思っていた前提がまちがっているかもしれない」という可能性を認め、それを、実際の他者との対話の中で確認したり修正したりしようと試みる。 前提が誤っていた場合は前提を再構成し、新しい一貫性を自分で生み出す形で「納得する」ものである。 ▽第6段階 この段階では、前段階の「他人の目」が、自分の周囲の人々を超えて、あらゆる可能な他人の目を次々と自分で「想定」できるようになる。世の中の種々な現象や問題の中から、新しい視点を発見したり、また、自分自身の内からも、新しい視点を生みだし、それらと現存する視点との矛盾を超えうる「新しい一貫性」をつくり出している。 また、その「一貫性の広がりと高まり」を、多くの人々に訴えながら、自らも常に変革へ向かう。自分にとっての知識はもはや「すべての可能な他人」にとっての知識となり、文化として遺していくし、他人をその一貫性の高まりと広がりの渦に巻き込まないではいられない。 +++ 無意味な学習が、まず意味(目標)を持つようになり、更にメタな意味(知的好奇心)を持ち、高次な学びになっていく。そしてそこに他の視点からの吟味が加わるよう広がっていくわけですね。 ここで大事なのは、年齢を重ねるごとに段階が進むとは限らないという点でしょうか。第3段階の子どももいれば、第1段階のオトナもいるでしょうからね。 本書では、これは人間の学びの「構え」だと書かれていました。どうやって学ぶか、という方法論だけでなく、自分はなんのために学んでいるのか?どんな構えで学んでいるのか?そんなことを意識しておくことは重要ですね。 僕自身、学びについて学んでいるはずなのに、「まだまだだなぁ」と反省しました(笑) さて、最後に、僕が感動した最後のページの文章を載せておきます! 現代は、科学や技術に対する不信の時代である。 「勉強して何になる」、「学んで何の役に立つ」、「科学は人間を不幸にしたではないか」、「技術は人々を阻害し、公害を生んだではないか」、「よく勉強した人々は単に"出世"して、結局は他の人々を支配し苦しめたに過ぎないではないのか」・・・。 |コメント(1) |トラックバック(0)|教育・学習|
安齊さんこんばんは!! 投稿者:片野靖久|2009年9月 4日 21:49
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